Nozomi Tanaka competes in the Women's 5000m Final day three of the 108th JAAF Athletics Championships (© Getty Images)
陸上競技・田中 希実|自己と向き合い、走る「楽しさ」と「強さ」を求めて。世界で戦えるトップ選手へ。
オリジナル掲載日:2023.08.18
2021年に開催された東京2020オリンピックで陸上女子1500メートルに出場し、世界の強豪を相手に見事8位入賞を果たした田中希実選手。その後も着実に力をつけ、世界のトップレベルに駆け上がろうという勢いを感じる走りに、多くの人の視線が集まっています。東京2025世界陸上競技選手権大会でも活躍が期待される田中選手に、競技への思いとふだんの好きなことについて尋ねました。
田中 希実(たなか・のぞみ)
1999年兵庫県生まれ。同志社大学卒業後、豊田自動織機を経て、2023年4月よりプロアスリートに転向。1000 m・1500 m・3000 m・5000mで日本記録を持つ。東京2020オリンピック女子1500mに出場し、日本人初の決勝進出を果たし8位入賞。
走る楽しさから勝負の厳しさまで愛せる選手になりたい
— 田中選手はいつ頃から走り始めたのですか?
両親がランナーだったこともあり、物心つく頃からいろいろな大会の「親子マラソン」に出場して走っていました。でも、遅かったです(笑)。「親子マラソン」でも順位はつくので、熱心な親御さんは優勝を目指してお子さんと走っていたのですが、私と両親はそんなこともなかったので、私がしんどくなったら待ってくれたり、回復するまで抱っこしてくれたりして、楽しく走っていました。父が企画・運営する大会では、自分が走らないときは運営本部周辺で1人遊びをしながら、スタッフの方が仕事をされている様子を見ていました。次第に顔見知りの人が増えてきて、「希実ちゃん」と声をかけてかわいがってくださって。楽しかったです。
— 幼少の頃は競技として意識することなく走っていたのですね。「走ること」を意識するようになったきっかけはありますか?
私の出身地である兵庫県は陸上競技のレベルが高く、キッズ部門に出場する子どもたちの多くがランニングクラブ出身で、なかなか勝てませんでした。だんだんメダルが取れそうな位置まで上がってきて、小学5年生の冬にロードレースで優勝できたときは、とてもうれしかったです。その後、小学6年生の夏に母がオーストラリアのマラソン大会に出場した翌日のキッズ部門に出て、優勝できました。海外で優勝できたことは大きな自信になったと同時に、一度勝つと次も勝ちたいという気持ちが芽生え、もっと速く走りたいという思いが湧いてきました。
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